20260520:卓話

■ 卓話

「トタン屋根のケーキ屋 ア・ラモート」新本高志 様

演題:あなたのためにできること

皆さま、どうもありがとうございます。

本日はお招きいただきまして、本当に感謝の気持ちでいっぱいでございます。

まず、こうして皆さまの前でお話をさせていただくとき、私はいつも思うんです。

「有名になったから」とか、「テレビに出たから」とか、「新聞に載ったから」とか、「立派になったから」呼ばれた、ということでは決してありません。

皆さまの前でお話をさせていただくということは、私にとっては、自分を反省する時間なんです。

こうして皆さまの前に立たせていただいて、

「自分は本当にどうだろうか」

「ちゃんと感謝して生きているだろうか」

と、振り返らせていただく時間でございます。

そのような反省の時間を、本日、宮川さんにご準備いただきました。

本当にありがとうございます。

そして何よりも、今日は久しぶりの外食でございます。

私と家内が年に一回か二回、「行きたいね」と言っているキャッスルの中華料理を、こうしていただくことができました。

できることなら、おかわりもしたかったくらいです。

ただ、おかわりは今度、家内と一生懸命働いて、自腹で来たいと思います。

人様の前でお話をするときには、本当は、知らない場所で、知らない方ばかりの前で話すのがいいんです。

ところが今日は、この限られた空間の中に、知った方がたくさんいらっしゃいます。

私の息子の同級生のお父さまをはじめ、宮川社長、そして生駒さん。

特に生駒さんのお母さまは、私が35年前に初めて自転車でケーキを売りに上通を歩いたとき、一番最初にケーキを買ってくださった方でございます。

そのとき、お母さまがおっしゃった言葉が、今でも忘れられません。

「自転車も立派なお店だから、卑下する必要はない。

あそこの店が立派で、あなたの商いが劣っているなんてことは決してない。

その代わり、あなた、一つだけ約束しなさい。

自転車も立派なお店だからね。続けないといけないわよ。

続けることが、新しいものを古くしないのよ」

そのおばあさまの言葉を、私は今も守っているだけでございます。

今日、そのご縁のある方々にまたお会いできたことを、この場をお借りして感謝申し上げます。

それから、先ほど鈴木さんが目の手術のお話をされました。

目がよく見えるようになられて、本当にようございました。

ただ、私が個人的に思いますのは、小説家の五木寛之さんが以前、こうおっしゃったことがあるんです。

「荒本さん、年を重ねて目が悪くなるのも、そんなに悪いことばかりじゃないよ。

なぜかというと、朝起きて洗面所の鏡の前に立ったとき、目がよかったころは、自分の顔のシミもソバカスもはっきり見えた。

でも、少しぼやけて見えるようになると、40年間連れ添った家内の顔も、なんとなく今日も綺麗かな、と思えるんだよ」

鈴木さんは80歳を過ぎたとおっしゃいましたが、まだまだお元気です。

私から見ますと、80歳とおっしゃっても、20歳の青年が4人おられると思えば、苦になりません。

大丈夫でございます。

ありがたいことに、私は3か月に一回くらいの平均で、夫婦喧嘩をさせていただいております。

この間も、その日がやってまいりました。

なんでもないことなんです。

突然、久しぶりに娘が家に帰ってきまして、和やかな雰囲気の中で、娘が言いました。

「お父さん、私が生まれたころにケーキを始めて、もう35年になるね。

あのころ、自転車の荷台に私たちを積んで連れて行ってくれてありがとう。

そのおかげで、今日までの私があるわ」

そう言ってくれたんです。

「そういえばお父さん、最近ちょっと遠くまで行っているみたいだけど、どの辺りまで行っているの」

そう聞かれまして、私は思い出したんです。

「ああ、そういえば3日前に電話があったな。

80代後半のおばあちゃんが、私のケーキをどうしても食べたいとおっしゃった。

『私の家は遠いけれど、あなたは自転車でどんな遠いところでも来ますか』と聞かれたので、

『大丈夫ですよ。月曜日は休みですから、休みの日を利用して行きます』と答えた」

くるみ、栗、りんごのケーキがありますので、初めて食べるから3本持ってきてください、というご注文でした。

ところが、私は行き先をきちんと聞いていなかったんです。

この「行き先を聞いていなかった」という時点で、家内との夫婦喧嘩が始まりました。

「お父さん、あなたはおっちょこちょいなんだから、ちゃんと行き先を聞かないといけないでしょう。もう一度電話しなさい」

「そうだね。確か宇土方面とおっしゃっていたから」

「宇土方面も、その先は松橋もあれば、八代もありますから」

それで電話したんです。

「こんにちは。この間お電話いただきました、ア・ラモートです」

すると、おばあちゃんが、

「ケーキ屋さん。久しぶりにあと3日したら会えるね」

とおっしゃる。

「ところで、宇土方面とおっしゃいましたけれども、宇土から松橋に来ると。

松橋から県道鏡線をまっすぐ行くと八代に。

そして八代でちょっと休憩した方がいいかもしれないわね」

ここで私は聞きました。

「八代方面のどちらですか」

すると、

「人吉」

この言葉には、距離というものが入っております。

自転車でパウンドケーキを3本、人吉まで持ってこいというおばあちゃん。

それを真に受けて、まじめに持っていこうとする私。

うちの奥様からは、大変なお叱りを受けました。

「若隆景くんのお父さん。物事には許容範囲というものがあるでしょう。

まだまだ子どももこれから成長しないといけないのに、言えることと見せることがあるでしょう。死にますよ」

息子が言いました。

「お父さん。お父さんの自転車の速度と、人吉までの時間を計算してみた。

何時間で行くか。お父さん、14時間」

もう、思わず口も開きませんでした。

出発の日は、午前3時には目が覚めました。

遠方に行くときには、自転車の荷台の下に木箱を積みます。

そして籠にケーキを積みます。

人吉までは約110キロ。

道中、坂道もありますから、押して歩かなければならないところもあります。

家内が言いました。

「用心して行かんといかんよ」

「わかった。帰ってこれないかもしれん」

息子が玄関で見送ってくれました。

「お父さん、生きて帰ってきてください」

商いというのは、やっぱり命がけですね。

商いに優劣はないと思うんです。

大事なのは、自分の小さなお店、小さな会社、自分の仕事、自分の人生に、どれだけ感謝の気持ちを持っているかということだと思います。

人は人。

自分は自分です。

でも、ロータリーに入られたおかげで、皆さんもいろいろな方と知り合い、共に道を歩んでこられたと思います。

どんなふうに生きてきたか、ということも大事ですが、誰とともに手をつなぎ、手を携え、励まし合い、寄り添って生きてきたか。

それがとても大事だと、私は思うんです。

八代を過ぎて、坂本というところがあります。

そこで、あるおばあちゃんが言いました。

「今年も来たね、ケーキ屋さん。あんたとは年に一回しか会えない。今年も来たね」

「今日はどこまで行くの」

「人吉まで行きます」

するとおばあちゃんが、

「あんたみたいなオンボロ自転車で、熊川沿いはトラックがバンバン通る。危ないよ。用心して行かないと」

そう言われました。

でも、約束というものは、守るためにあるんですね。

たった3本のケーキかもしれません。

でも、楽しみにしているおばあちゃんとの約束です。

その約束を守るという前提があるから、人と人との関係が成り立つんだと思います。

人吉はいいところです。

人吉でいいんです。

人がいいから、人吉です。

そのおばあちゃんが言いました。

「あんたにお土産を持たせてやろう」

おばあちゃんは、自分の家の隣の畑に私を連れて行かれました。

そして、自分で作った大根を5本、米袋のようなビニール袋に入れてくださいました。

大根には土がついていました。

でも、その土を「汚い」と言うのではなく、小さなお子さんには「大根のお洋服」と言いたいですね。

大根の葉っぱも体にいいんです。

おばあちゃんは、その大根5本を、私のケーキの荷台の白い籠に入れてくださいました。

大根の葉っぱが、まるでテーブルクロスのように広がっておりました。

「用心して行かないかんよ。気をつけてね」

「ありがとうございます」

そう言って、200メートルほどペダルを踏みました。

もう後ろは振り向けません。

まだケーキが何十キロと積んでありますから。

200メートルほどペダルを踏みながら、私は真剣に一つの事実を考えました。

「坂本村でいただいた大根5本。最終目的地は人吉。帰りもまた坂本を通る」

大根は、そのときにいただかなくても、帰りにいただけばよかったんです。

飲み物や食べ物なら道中でいただけます。

でも、大根は道中で食べることができません。

大根5本と、ずっと一緒です。

けれども、これは邪魔な大根5本ではないんですね。

おばあちゃんの気持ちなんです。

ものは考えようです。

荷台のパウンドケーキとともに、おばあちゃんの大根を、おばあちゃんの思いとして荷台に積んで、ペダルを踏ませていただく。

「どうしてこんな遠いところまでケーキを運ばなければいけないのか」

ではなく、

「こんな遠いところまで来させていただいたおかげで、おばあちゃんから大根5本をいただいた。ありがたいな」

と思うんです。

ありがたいというのは、「有ることが難しい」と書きます。

年齢に関係なく、今日この場所にお集まりの皆さんお一人お一人も、過去を振り返れば、どれだけの苦労、つらいこと、きついこと、悲しいこと、苦しいことを乗り越えてこられたでしょうか。

中には、まだ乗り越えることができないまま、心の中に抱えておられることもあるかもしれません。

家族のこと、家庭のこと、仕事のこと。

でも、そのためのロータリークラブではないでしょうか。

共に分かち合い、心の扉をノックして、内側から開いて、仲間の言葉を聞いて、共に歩んでいく。

これが、私たちの本当の友情ではないでしょうか。

人吉へ向かう途中、一勝地というところがあります。

誰も歩いていないところで、ビニールハウスから、80代後半くらいのおじいちゃんが出てきました。

右手にタバコを持って、私を呼んでいます。

「お前、ちょっと来てください」

私は止まりました。

おじいちゃんは、私の顔ではなく、荷台の大根をじっと見て言いました。

「あんた、それをどこから抜いてきた。うちの作物がなくなった」

よく聞いてください。

私は坂本村でいただいた大根を運んでいるだけです。

終戦直後でもないのに、今の時代に、自転車で大根泥棒と間違えられたんです。

おじいちゃんは言いました。

「わしの家は、畑を耕した三つ向こうにある。うちの裏から見えるから、ついてこい」

私の進行方向は逆です。

断ろうと思えば断れます。

でも、年を重ねたおじいちゃんの言葉には、何か意味があるのかもしれない。

おじいちゃんは畑を斜めに歩いていきました。

自転車では無理です。

私は遠回りをして、おじいちゃんの家の前に着きました。

大きな農家の玄関でした。

軒先には大豆などが干してあり、大根も切り干し大根になるのでしょう。

しばらくすると、おじいちゃんが白い布袋を抱えて出てきました。

お米です。

8キロです。

「今度こっち方面に来るときは寄りなさい。あとは自転車で苦労しとるから、よっぽど生活に困っとるんだろう。とりあえず自転車だから8キロだ」

これも、8キロのおじいちゃんの重みです。

ある程度ケーキが売れると、荷台が軽くなります。

それは私にしか分からない喜びです。

「これくらいなら、もうペダルを踏める」と思えるんです。

ところが、ケーキが売れてできた隙間に、大根。

さらにお米。

やっとの思いで、十数時間かかって、人吉の九日町に着きました。

もう日が暮れていました。

狭い道を進んでおりますと、私の鐘の音を聞いて、いきなり一人のおばあちゃんが出てきました。

「止まる!」

私は言いました。

「おばあちゃん、先を急ぐんです」

するとおばあちゃんが、

「この近くに九日町の東海小学校がある。そこを渡って右に曲がって、まっすぐ行くと東海小学校だ。あなたはケーキ屋さんでしょう。テレビで見た。こんな遠いところまで来てくれたんだね。くるみと栗とりんご、私も欲しい」

「3本でいくらか」

「1本1,500円ですから、4,500円です」

「まけは一本ですか」

まけない、というのが大事です。

儲かる、儲からないより、喜ばれないといけません。

おばあちゃんが言いました。

「あんたに土産を渡してやる」

大根、米、と来て、今度は何か。

「らっきょう、好きね」

らっきょうは体にいいですね。

でも、こちらの図で言いますと、ひそかにらっきょうをいただくときは、だいたい20粒か、多くても30粒くらいがありがたい。

汁が漏れないように、鮮度市場か何かのビニール袋で二重にしていただくのが一番ありがたい。

ところが、おばあちゃんが私に持ってきたらっきょうは、瓶ごとです。

あの大きな瓶です。

なぜ、あの瓶のふたは軽いのに、赤やオレンジ色なのでしょうか。

お米、大根、そしてらっきょう。

らっきょうそのものには何の責任もありません。

ただ、籠の下にはまだ木箱があり、そこには私のパウンドケーキが入っています。

毎日、ニュートンの法則で、段差のたびにケーキに亀裂が入っております。

らっきょうの汁と私のパウンドケーキは、まだ出会ってはいけないんです。

ですから、後ろのふたを押さえながら、やっとのことで進みました。

暑いので、たまに後ろを振り向きます。

すると、私を励ますかのように、らっきょうとらっきょうの間を、鷹の爪が見えるんです。

「ありがたいな」

そう思いながら、やっとの思いで公民館に着きました。

おばあちゃんにケーキを3本お渡ししました。

私は喜んでいただけると思っていました。

するとおばあちゃんが言いました。

「あなたにケーキは注文したけどね、私は本当に持ってくるとは思わなかった。持ってきたね」

「来ましたよ」

「そうね。あなたは歴史的にいい日に来た」

「何ですか」

「実は私は、この地区の老人クラブでフラダンスの講師をしている。今日は発表会だった」

メンバーは22人。

そのうち8人がインフルエンザで欠席。

今日は発表に出られないというんです。

それでおばあちゃんが言いました。

「あんた、代わりに出なさい」

私、何も言っていないんです。

年を重ねた方は、皆さんご自分の都合で物事を言われますね。

体が痛いのも、どこそこ悪いのも、全部それぞれ事情があります。

でも、ぐんぐん話は進んでいきます。

おばあちゃんたちのお名前は、カタカナで、昔ながらのお名前の方が多いんです。

皆さん出てこられて、

「一緒に踊りましょう」

と言われる。

「このケーキ屋さんは、髪が短いから、色が黒いから、南方の人に見えるけど、髪が短いから惜しいね。最初から合えばいいけどね」

今でこそコミュニティセンターですが、田舎に行きますと、こういう会場にも大きな等身大の鏡があります。

そこに自分の姿を見たんです。

出発前に息子が言った、

「生きて帰ってきてください」

という言葉を思い出しました。

揚げ句の果てには、口紅です。

口紅というのは、唇につけると言いますけれど、本来は「紅を引く」と言いますね。

京都の舞妓さんが唇の片方だけ赤く紅を引いているのは、まだ半人前。

上下に紅を引くと、一人前の舞妓さんです。

男性の方も冬はリップクリームを使いますし、女性の方も普通は、ご自分の唇の面積に合わせて紅を引かれます。

ところが、おばあちゃんが塗ってくださった紅は、唇の周りまで広がりました。

それは確かに、遠い昔、私の母が使っていたような、ちふれの紅でございました。

発表会が終わりますと、おばあちゃんが言いました。

「もう十分でしょう。私はね、あなたが来たら、今日は家に泊めてやろうと思っていた」

私は言いました。

「えっ」

「私は89歳、独身です」

電話では、ご主人のことを「11回忌」とおっしゃっていました。

そういう場合は「一人暮らし」と言うのだと思います。

確かに、もうお一人です。

家に行きますと、おばあちゃんは大切なお客様用の部屋に案内してくださいました。

仏間に布団が敷いてありました。

私が来たら寝かせようと思ってくださっていたんです。

そこまでは何の問題もありません。

ただ、よく見ると、一つの布団に枕が二つあるんです。

どう考えても、ただならぬことです。

するとおばあちゃんが言いました。

「私は一人暮らしだからね。布団を干しておいたんだけど、今日は発表会があったから、一つ取り入れるのを忘れていた」

そういうことでした。

昔の話、いろいろな苦労話を伺いました。

もちろん、おばあちゃんは89歳の立派な女性でございます。

私もまだ、働き盛りの男性でございますけれども、無事に、何事もなく朝を迎えました。

翌朝、老人会の方々が見送ってくださいました。

そのときの最後の言葉が、

「今度はいつ来てくれるね」

でした。

もしよろしければ、うちの店には自転車がもう一台ございます。

一緒にいかがでしょうか。

コースは三つあります。

天草方面、三角方面、阿蘇方面。

まずは御船あたりでいかがでしょうか。

きついこと、つらいこと、苦しいことは、一人で歩いていくよりも、共に手を支え合い、励まし合っていった方がいい。

それはロータリークラブの皆さまの精神とも同じではないでしょうか。

もう手短にお話しします。

時間はあと何分でしょうか。

あと5分ですか。

はい、あと5分ですね。

父の日に、娘と息子が、

「お父さん、35年頑張ったね」

と言って、時計をプレゼントしてくれたらよかったんですけれど、今見たら止まっております。

たしかに、あまり高い時計ではなかったんです。

あと5分ですね。

私は、事情がありまして、親も早くに亡くなりました。

大阪の養護施設で育ちました。

大阪の施設を出たあと、短歌が好きで、ご縁があり、亡くなられた小説家の三浦綾子さんのもと、北海道旭川に渡りました。

そこで2年間、一緒に生活をさせていただき、大変多くのことを学びました。

その後、20歳のときにご縁があって熊本に来ました。

寝るところもなく、ポケットには130円しかありませんでした。

そのときは二の丸公園で寝て、加藤神社さんで寝ていたところを宮司さんに見つかりました。

すると、

「ここはいいところだから、しっかり根を張りなさい。私が六畳一間の部屋を借りてあげるから」

と言っていただき、本当にお世話になりました。

それから、新市街の小さなケーキ屋さんで5年間修業させていただき、その後、大手のケーキ屋さんで3年間修業させていただきました。

そして、フランス、イタリア、スイス、パリ、台湾へも行きたいと思っています。

今度、いつか機会があれば、またその話もさせていただきたいと思います。

人の話は、最後まで聞かないと分かりませんね。

人というのは、人様の前では、自分の自慢話や、かっこいい話ばかりをしたくなるものです。

でも、話したくないことも話さないと、腹を割って話さないと、本音は見えません。

「あのケーキ屋さんは、あんなふうに来られているけれど、20歳のときはどうだったのか」

正直な自分をさらけ出さないと、気持ちは伝わらないと思います。

店を持ちたいけれど、お金はありませんでした。

郵便局の払い下げの自転車が手に入りました。

500円でした。

ですから、私の資本金は500円です。

そして、トタン屋根の小屋を借りました。

5キロの黒いパン箱にケーキを入れることができました。

当時焼けたのは、一日5本くらいのパウンドケーキです。

3日、4日かけて作りました。

売れるまで帰れません。

売れるまでペダルを踏みます。

暑い日も、寒い日も、あちこち回らせていただいて、今日に至ります。

今日まで来られたのは、本当に多くの皆さま、一人一人のおかげでございます。

私が偉いのではありません。

世間では、

「自転車で大変ですね」

とおっしゃいます。

でも、これは私にとって、ごく当たり前のことでございます。

私たち一人一人が、たとえどんな小さな仕事やお店であっても、自分の仕事に、自分の生き方に、どれだけ誇りを持っているか。

それが大事だと思うんです。

最後になりますが、私は花が好きです。

花を「死ぬ」という目で見ると、花は全部、死んでしまいます。

でも、観察の目で見ると違います。

バラはしぼむ。

タンポポは綿毛になる。

桜は散る。

桔梗は枯れる。

椿は落ちる。

牡丹は崩れる。

何もしゃべらない花ですが、見事な敬意をもって一生を終えます。

では、私たち人間は、どういう敬意をもって一生を終えるのでしょうか。

これから6月になります。

紫陽花が綺麗な季節です。

紫陽花の花は、近づいて見ると、小さな一つ一つの花びら、額の集まりです。

それが離れて見ると、大きな一つの花のように見えます。

曇りの日も、雨の日も、紫やピンクの紫陽花は光り輝いて見えます。

その紫陽花の花と同じように、私たち一人一人も、これから先、今日も、どんなにつらくても、きつくても、悲しくても、苦しくても、自分自身が揺るぎない信念を持って生きていれば、雨の日に光り輝く紫陽花のように、一人一人が光り輝いているのだと思います。

今日は本当に短い時間でございましたが、感謝の気持ちでいっぱいです。

お食事も大変おいしくいただきました。

そして、それと同じくらい、皆さまと過ごしたこの時間が、とてもおいしゅうございました。

最後に、私の話をこの言葉で締めくくりたいと思います。

自転車操業なのに、景気がいい。

本日は、ありがとうございました。